カン切りちゃんの毎日

カン切りちゃんが日々感じたことを身バレしない程度に語るよ

死にたくなってきました

この二ヶ月間とりあえずエントリーしてとりあえずES書いてってことをしてきたんですが(だが一社)本当に乗り気じゃなくてもうなんていうか死にたい。毎日スーツ姿とエンカウントするたびにどんどんHP削ぎ取られていく。内定もらえるんでしょうか……?

「こんな私でも会社員なれたんだから大丈夫」とかそういうアドバイスは求めてなくてだな……違うんだよ、なんかこう……めんどくさくて本当すみません。

企業研究とか本当に興味なさすぎてやってない。どうしよう。会社に興味ない。面白くないんだもん……どこが面白いの……?行きたい会社も見つからず、本当にどう生きたいかも定まってない……そして親と学校のプレッシャーもやばい。

高校のときとか大学のときとかは「受験」っていうものがあったので、毎日勉強していればなんとか済んだし、先生もめちゃくちゃ手助けしてくれた。就活はこう受動的ではなく、本当に動かないと取り残されるっていうのを実感しまくってて本当になんか見えない焦りが目の前にきて、本当に嫌です。前の記事でも書いたけど、空気感が嫌だし、なんていうか私自身が本当に社会不適合者っていうのが最近アリアリとわかってきて、ダメだ……けど働かなきゃ死んでしまう……いっそ自殺した方がって思ったけど、それも嫌だ……まだ生きていたい。

最近わかったのが、私その男女関係(ドラマやアニメは別として)が気持ち悪いっていうか、アリアリとこう「セックスしてんだな」みたいなのがすごく、嫌なんです。ドラマとかアニメは気にしないんだけど、現実のああいったもの……友達がこうリアルにしたってのが何だか気持ち悪い。AVとかは非現実だから全然見れるんだけど、いざ自分がっていうのは、無理だっていうのを感じました。触られるのがすごい嫌……自分以外に自分を触られるの。女友達は本当に気にしないし、寧ろきていいぞ♡なんだけど……。なんですかね、これ。だから、今後結婚も出来ないし、したくないって気持ちが強い。両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだけどごめんとだけ思って、今後生きていきます……。

高校時代の話

中学ときたので、高校も書きます。高校はまあ仲良しグループが飛散し、そして私と友人Aが別の2グループに分かれたんですけど、そこで問題が起きたんだよね。

私が言ったグループが2人1組だったわけです。最初のエントリーを思い出してください。3人いたら、1人余る法則。ええ、これをすっかり忘れていたわけです。

しかし、この場合私が余ったわけではなく、もともといた一人の子が余ることを危惧したわけです。それを口に出せばいいものを突然、メールでこの記事を読んでとURL付きで送られ、なんだ〜と思ったら彼女のブログだったんです。

そこには私が入ってきてからの恨みがつらつらと書かれておりました。まあ、それ読んで泣かない人間いたらすごいわよ。泣いたもん、超ボロ泣き。

で、そのときに「ブラック★ロックシューター」っていうボカロの曲がアニメ化しておりまして、それも三人の女の子の友情の話。二人で育まれていた友情を新たに出てきた女の子がぶち壊していくっていう……女の子あるある〜な話なんですよね。その三人目をどうやら私と置き換えてくれ、とブログに書いていました。

凄く中学時代のこととか書いてて、なんか居場所が取れられる云々あったの覚えてる。友人Bの言い分としては、「同じ中学の友人もやっと仲よかった子も取って、なんでまた私の居場所を奪うの」と言われ、今思えば「は???」って感じだったけど、まあ缶切りちゃんは感受性の強い女の子なので泣いちゃうしかないんですよね。

中学の時に散々な目にあってるから、こんなの正直、比じゃないんだよなあとすごく今改めて思ってしまった……自分の安心できる領域は必要だし、誰かと「親友だよね」って言い合う行為を大切にしてるタイプなんだなあ。「親友」って正直いてもいなくてもいいし、それ自分が一人だけ思ってたら恥ずかしくないか?って最近思ってしまって、口に出すのやめてるんだよね。身の程を知れ!とか言われるのも嫌だし。友人がちょうどいい。というか「親友」という位置にこだわるのも、なんだかなあって。

昔の私は「親友」と呼べる人間はいるのかって必死に考えてたけど、今はっきりと言えるのは環境によって友達は変わるもんだから、固執するのもどうかなって思うよ。だから、そんなに重く捉えなくていい。死にゃしないさ。どうせ、皆いつか死ぬんだし。

 

けど、ブログで言えないことを伝えられるよりも、直接言葉で伝えてほしかったなあって今も昔も私は思ってるよ。

中学時代の話

中学時代、いじめに2回あってる。あんまり人に話したくないけど、整理したいし、踏ん切りつけたいから書く。2回目は凄く自分勝手な理由で無視されたし、もうほんと意味わかんなかったからボロクソに書くけど許してほしい。見たくない人はバックしてね。

 

一回目は中学一年生のとき。クラスに馴染めなかった。仲が良い子、全員違うクラス。正直、地獄だとしか思えなかった。小学校の担任死ねとまで本当に思った。それぐらい、苦痛でなんとか苦笑いしながら通ってた。学校休んだら、親が心配するって思ったから。

入学して一週間ぐらいかな。クラスの名簿順で席が近くなった子と部活動の見学に行こうってなって、行くことになった。話の流れでバレー部に入部することになった。小学校六年間運動音痴だった女が突然のバレー部。正直自分でも何してんのか意味わかんなかった。美術部に入りたかったけど、母親に「美術部に二千円払うのどうなの。だったら、バレー部にしなさいよ」って言われて、凄くショックだった。その発言を後々、中三まで引き摺る。割と今でも傷付いてる。

そしてバレー部に入ることとなる。当然、ドベ。何してもトロい。しかし、球拾いは得意。運動できなさすぎて、めっちゃ先輩に迷惑かけてほんと死にたかった。朝、昼、放課後、土日は全部バレー部。地獄。美術部がよかったってなんども思った。

あまりにも皆と格差(小さい時からバレーやってるとか)があったので、優しい天使のような副顧問の先生がバレーの練習を一緒にしてくれた。一人だけ特別メニュー。私は凄く恥ずかしかったんだけど、それをあんまり良く思わない子は当然いた。

苦しみながらも、その夏を乗り越える。一年生の二学期あたりにいじめが発覚する。給食でよく牛乳とか温食とか運ぶじゃん。それで持って行ったときに全部、避けられるの。別にクラス全体ではなかったけど。一部がそうしてた。頑張って知らない振りしてた。気のせいかな?ど、こっちとしては運んでるのにイラつきしかなくて、どうして仕事、増やすのかなみたいな。バレー部の子もそれやってて。挨拶しても無視とか、話しかけても無視とか。少し前に仲良く話してた子が普通に無視するの。割とあれ、応えるわ。

自分でも本当に悪い癖っていうか、コミュニケーションがときどき斜め上というか突飛な所に飛んでいくことがあって、それを凄くバカにされてた。(今だと割と発想的な意味では凄く役立って有り難いんだけど)知的障害者を馬鹿にする感じと似てたかな。友達というか、私の地域の程度が知れてしまう。

オタクだから通るたびに「オタッキー」とか呼ばれてて。オタクだから仕方ないし、否定はしないけど。それが続いて、精神的にいろいろとまいってた。

ある日、体調を崩して朝練を休んだの。それが沸点に達したのか気の強い子が「休んだくせに学校来てんじゃないよ。ズル休み?」みたいなこと言われて、私のメンタルは完全にやられた。もう今まで頑張って学校に通ってたのが、全部崩れていった気がする。泣いてた。なんかどっかに隠れて泣いてた。なんやかんやあって保健室で1日、その日は過ごした。あと、私はそのとき「学校は楽しい」って無理やり思い込んでいたことに気づいた。親に心配をかけちゃダメだって思って、毎日無理して通ってた。で、当然クラス問題になり、先生が該当者の子を呼び出して、指導。バレー部でも問題になって、指導。まあ解決はしたけど、表面上かなってかんじ。我が身が可愛いから、うわべだけ。裏では多分言われてるだろうし、今でも言われてそうだから中学時代の友達に私は会いたくない。

 

二回目は三年生の時に起こった。いじめ問題で助けてくれた友人のAが私を突如無視。最初は何かの冗談かと思ったけど、無視されるのは二回目(小六のときにされてた。一回目でヤバい奴だって、そのときに気付くべきだった)なんで無視されたかは分からない。けど、今なんとなくわかるのは私の進路が羨ましかったのかなあ、と。自惚れかもしれないけど。彼女はイラストが上手くて、イラスト関係の仕事に就きたいって言ってて。だけど、家庭の事情から美術の方に進むのは難しかった。私は比較的親は寛容だから、進路をそこに定めたんだけど、そこからかな。無視されたの。最初はショックすぎて保健室でその時間を過ごした。

まあそれからとは言うもの、仲の良い友達は彼女を中心に回ってるようなもんだから、当然私の扱いは粗雑というか周りが気を遣いはじめる。「Aがいるから、ごめん」みたいな。あれで「私ってそんなに価値ないのか」って自覚し始めた。そこで自信が消失した。凄く悲しかったし、そこから受験勉強に励み始めた。「見返してやるわ」みたいな。ある意味よかったかもしれないけど、あの頃は凄く落ち込んでた。

中学がこうだった分、高校はかなり楽しかった。本当楽しかった。高校も揉めたけど、中学と比べたらマシかな。

中学は本当にいい思い出がない。ていうか、思い出したくない。中学が楽しくなかった分、高校と大学がすっっごい楽しい。地元らーぶ♡はあり得ない。中学の友人に関してだけど。

あと、中学でハマった椎名林檎をまさか今もまだ聞くとは思わなかったし、中学の時の私はいいセンスしてたと思う(自己賞賛)

 

自己嫌悪

誰しも人に見せない闇だとかそういうものがあって、相談してもきっと理解されないし、多分わからないと思う。私自身もいまいちわかっていない。何かに突き動かされるように悩んでいて、何に悩んでいるのだろうかと本当に思う。考えるたびにこう、暗くなっていく。将来は明るいなんて誰が言ったのだろうか。一寸先は闇なのに。わかるはずがない。今、本当に暇で何をして生きていいのかもさっぱりわからなくて、いつもそういった場合は本を読んで過ごすのだけれど、そんな気分じゃなくて。

そんな自分が嫌。誤魔化すようにアニメを見るけれど、何か違うんだよね。

『皆で就活しましょう』って流れがすごくいや。気持ち悪くなってくる。気持ち悪くならないの?社会がこうだから、やります!みたいな。同じことを皆やって、潜りぬけてるんだよ。内定掴んでるんだよ。そう思って、必死に自分を納得させてるけど違うんだよな。

受験はほら、まだ進学っていう先の道が見えてたから、まだよかった。だけど、就活してそれからは?ってなる。学んだことを生かして、社会に出るなんて多分僅かでしか居ないんだろうなあ。四年間を生かした職に就きたいけどね、散々死ぬとか言われるしね。嫌だなあ。生きたくないなあ。大人になりたくない。

就活してます!ってバカみたいにアピールしてるのも無理だし、みんな真剣に将来を考えていてすごいなって思う。自分のことなのに、他人事みたいで笑えてくる。だって、採用少ないのに、どう頑張ったらその中に選ばれるの?その中で自分が選ばれる訳ないもの。選ばれない人間だもの、私。

長く人生を生きてたら、わかってくるじゃん。20年ちょっとだけどさ。

「好きな人と二人組を作ってください」みたいなあの流れと就活は似てるんだよ。だから、嫌いなんだと思うし、こんなに真剣にやりたくないんだと思う。

働いてお金は欲しいし、安定した生活も得たいけど、そこに至るまでの過程が面白くないんだよね。就活って。賢い人生勝ち組がスイスイいく感じ。なんか面白い要素がない。心惹かれるものもない。

それなのに偉い人はみんな「企業にこんなに会えるのは今だけです!楽しんでください!」って言うけど、人生長いのだし、すぐに会社と合わなくてやめちゃうって、二度目の就活もあるかもしれない。だから、多分乗り気じゃないんだよね。

すごく真剣に将来を考えてる人が羨ましい。未来のビジョンがきちんと見えてるの。

「将来は起業して」とか「一人暮らしする」とか。目標がひとつでもあるのが羨ましい。だから、頑張ろうってなるんだろうな。

これは他人と違う自分ですアピールじゃなくて、こんなに普通に生きてる人と自分の考えがあまりにも違いすぎて自己嫌悪に陥る話。

やだなあ、みんなと一緒がよかったなあ。頑張ってる人をあんなにも覚めた目で見る自分は嫌だ。どうしたら一緒になれるんだろう、苦しい、つらい、悲しい。

どうしたいのか、何がしたいのか。わからない。何にもしたくない。

死ぬなら今だよなあ。だったら、緩やかに桜の花見ながら死にたいかな。冗談だけど。

私は頑張って生きるけど、本当つくづく社会に向いてない。嫌だな、普通の本当に何にもない、普通の人生を歩むの。平坦な道を歩みたくない。全然面白くない。そう言いながら勇気も何もないアクションを起こさないから、多分普通の人生を歩むことになるんだろうな。自己嫌悪だ。嫌だな。結婚して、子供を産んで、幸せなママとか、そんなのなんか嫌だ。本当に気持ち悪いの。みんな一緒、みんな同じ。何かの呪いみたい。

毎朝満員電車に揺られて、残業して、ご飯を食べて、生活する。面白くなさそう……毎日一緒。嫌な上司と顔を突き合わせて。昔は憧れてたけど、今は本当につまんないものにしか見えない。ドラマの世界はあんなにも華やかなのに、現実は本当に面白くない。文学の世界に生まれた私という人間が存在した方がまだ面白かったかもしれない。

 

掴もうぜ!就職内定!

ちょうど今、就活真っ盛りである。

企業にエントリーだけしてのほほんと過ごし、企業研究もなにもしていない私は本当に馬鹿じゃないのか?と思うし、きっとESを書く時期になって焦りだし、面接失敗し、親に迷惑を掛けるパターンしか想像できない。

なんとかなるなる精神とはそろそろ卒業すべきだと思うが、流石に21年間付き合ってきたものだから、別れを告げることは出来ないままだ。哀しいかな、これが体たらくな就活生の実態だ。

意識の高い就活生を本当に心から尊敬するし、行きたい企業はあるが狭き門過ぎて、実感がわかない。むしろ、行けるのか?とさえも思う。最近だとゲームのガチャ(無課金)で滅多に来ないSRなどが来たものだから、もう私の運はここで終わったのかと、嘆く日々だ。就活は運ではないが、通じるようなものがある気がする。

毎日気づいたらツムツムをし、ツムツムをしながら「人生ツムツム」なんて言ってしまう。実際、現に就活の出だしなのに躓いている。文字通りだ。

ここで躓けば、あとは転落が待っている。やばい、やばいぞ〜〜缶切りちゃん!

自己分析をすれば向いている職業は感性が豊からしく「芸術家」や「小説家」が出るわ、「普通の人と同じ人生を歩むのを嫌う傾向があります」との評価ばかり。

見るからに社会不適合者まっしぐらコースだ!(芸術家や小説家などを批判している訳ではないのでお間違いのないよう)

この評価を見て絶望してからは、自己分析は一切していない。いや、見たくない。向き合いたくない。

正直、一回生や二回生はあっぱっぱーな感じ(比喩)でいた人間に、急に三回生になってから「就活とはなんぞや?」状態に持って行くほうが無理だろう。正直、私はあっぱっぱーなままでいたい。多分、社会の歯車のひとつになれる自信がないのだ。そう言っておいて、案外すんなり馴染めるかもしれないが、不安でしかない。その前にまず就活が成功しなければ話にならない。

そう。社会に出るには就活をするしかない。だが、それからもう目を背ける時間は過ぎたのだ。どん!!!!!!!や真打!登場!のような煽り文字をいれて登場したいが、そこまで派手な人間ではないし、むしろ賢くて可愛いわけでもない……。

何処にでもいる女子大生が大量発生している場所で戦い抜くことができるだろうか。いっそ、(ドラゴンボール読んでないけども)就活はあんな派手で個性的な外見で戦うようにシフトチェンジしてもいいんじゃないのか。

普段からカラコンやつけまに頼り生きている容姿に自信のない人間にとって、あの場は苦痛でしかない。子供じみた意見かもしれないが、あれが私なりの武装のひとつなのだ。

「就活にカワイイはいらない」と言われ、それなのに「人は見た目が9割」だなんておかしい。美人しか得しないじゃないか!!!!!中身で取るといいながら、結局は見た目で取ったりもする!!!!死にたい!!!!死ぬしかない!!!死んで、転生して、トリンドルみたいな顔面もらいたい!!神様お願いします!!!!!!という決着に行き着き、気付いたら1日が終わる。

要するに馬鹿なんだな……

結局、就職内定を掴むためには、企業研究、ESシートの確認暗記、会社への愛が一番なんだと思う。「私がこの会社を愛していて、私がこんな企画を考えてやってるのに、どうしてとらないわけ?ねぇ?」みたいな強気な態度で臨めば、狭き門もきっと通り抜けられるような気もする。(ってはてなのブログに書いてあった。記事読んで、落ち込んだからリンクしません。最後の強気な態度は勝手に付け足した)

明日から本気出していこうな……!

 

三人でいたら一人余る法則

友達と三人で話していたら、一人で余ることがあったりもする。まあ、よくある。気にしていないと言ったら、嘘になる。

この件に関して、小学生のときの登校がとても記憶に残っている。小学校からだいたい、10分程度の距離に自宅はあった。近所の子と三人で毎日登校していた。

仮にAちゃんとBちゃんにしよう。AちゃんとBちゃんは幼稚園の頃からの知り合いだった。私の家は引っ越してきたばかりで、この二人の間に仲間入りすることとなる。

話す話題は、めざましTVの話がメインだった。私の家はめざましではなく、やじうまニュース。当然、話についていけず、私は二人の後頭部を見ながらの登校が最早、日課となっていた。正直、話題に何一つ、ついていけないというのは苦痛でしかなかった。道端で車に轢かれて死んだ猫の死体を毎日どう変化していくか、観察していたような記憶もある。

両親に朝のニュースを変えてくれるよう懇願したが、変えることはなかった。理由を問い質されたが、小学生ながらに両親に心配かけまいと、必死に隠していたような気もする。

時たま、AちゃんとBちゃんは幼稚園の頃の話もしていた。またそれに加わることは出来ず、私はずっと黙っていた。二人が気を遣ってくれたのか、たまに私に話題を振ってくれるが、環境が違ったので、話が長く続くことなく終了する。

これが六年間続き、耐え忍んだ私は「ずっとこんな人生を歩むんだ」と悲観した。


私の予想通り、これが中学、高校、大学まで続いていく。


三人というのは、上手くいくようでなかなか上手くいかないのが現状だ。というか、難しいのだ。二人がずっと会話で盛り上がれば、一人は黙って聞いて置くしかない。口を挟むタイミングがなかなか掴めなかったりする。そこを見誤れば、話題は消沈する。だから、一人は笑って聞き流すしかない。

四人掛けのテーブルも、一人は余る。あれは両天秤に掛けられたようで、正直好きではない。隣に座る相手が来なかったとき、自分がちょっと嫌われてるのか、とか思ってしまうのもやめたい。これは気にしすぎだと思う。嫌いであれば、対面で向き合うこともないはずだ。

前向きに考えて生きるとこういう思考になっていく。

三人で一人余るというのは、一生抜け出せないものだと、いつしか悟るのだ。いつも余り物で、苦笑いを浮かべるしかない。そうしているうちに、自分は一人だと納得し、逆に一人で過ごしてしまう時間を上手に使っていける。だが、二人の顔色をきっちり伺うことを忘れないし、二人の会話に割り込むタイミングを逃さない。

そうすることによって、自分という存在をアピールし、自己を保てる。だが、それが段々と面倒臭くなり、会話に参加すらせず、思いきり一人で過してばっかりになるのも時間の問題かもしれない。