カン切りちゃんの毎日

カン切りちゃんが日々感じたことを身バレしない程度に語るよ

三人でいたら一人余る法則

友達と三人で話していたら、一人で余ることがあったりもする。まあ、よくある。気にしていないと言ったら、嘘になる。

この件に関して、小学生のときの登校がとても記憶に残っている。小学校からだいたい、10分程度の距離に自宅はあった。近所の子と三人で毎日登校していた。

仮にAちゃんとBちゃんにしよう。AちゃんとBちゃんは幼稚園の頃からの知り合いだった。私の家は引っ越してきたばかりで、この二人の間に仲間入りすることとなる。

話す話題は、めざましTVの話がメインだった。私の家はめざましではなく、やじうまニュース。当然、話についていけず、私は二人の後頭部を見ながらの登校が最早、日課となっていた。正直、話題に何一つ、ついていけないというのは苦痛でしかなかった。道端で車に轢かれて死んだ猫の死体を毎日どう変化していくか、観察していたような記憶もある。

両親に朝のニュースを変えてくれるよう懇願したが、変えることはなかった。理由を問い質されたが、小学生ながらに両親に心配かけまいと、必死に隠していたような気もする。

時たま、AちゃんとBちゃんは幼稚園の頃の話もしていた。またそれに加わることは出来ず、私はずっと黙っていた。二人が気を遣ってくれたのか、たまに私に話題を振ってくれるが、環境が違ったので、話が長く続くことなく終了する。

これが六年間続き、耐え忍んだ私は「ずっとこんな人生を歩むんだ」と悲観した。


私の予想通り、これが中学、高校、大学まで続いていく。


三人というのは、上手くいくようでなかなか上手くいかないのが現状だ。というか、難しいのだ。二人がずっと会話で盛り上がれば、一人は黙って聞いて置くしかない。口を挟むタイミングがなかなか掴めなかったりする。そこを見誤れば、話題は消沈する。だから、一人は笑って聞き流すしかない。

四人掛けのテーブルも、一人は余る。あれは両天秤に掛けられたようで、正直好きではない。隣に座る相手が来なかったとき、自分がちょっと嫌われてるのか、とか思ってしまうのもやめたい。これは気にしすぎだと思う。嫌いであれば、対面で向き合うこともないはずだ。

前向きに考えて生きるとこういう思考になっていく。

三人で一人余るというのは、一生抜け出せないものだと、いつしか悟るのだ。いつも余り物で、苦笑いを浮かべるしかない。そうしているうちに、自分は一人だと納得し、逆に一人で過ごしてしまう時間を上手に使っていける。だが、二人の顔色をきっちり伺うことを忘れないし、二人の会話に割り込むタイミングを逃さない。

そうすることによって、自分という存在をアピールし、自己を保てる。だが、それが段々と面倒臭くなり、会話に参加すらせず、思いきり一人で過してばっかりになるのも時間の問題かもしれない。